ネットスケープとSlackの間で僕らは生きている ~令和世代の「怠惰」(たいだ)を支えるテクノロジー賛歌~

あの頃、僕らの世界は電話回線に繋がっていた。

ネットスケープの進捗バーを祈るように見つめ、文字化けしたメッセージを解読し、ポストペットが運んでくるメールに一喜一憂した。ウェブサイトに設置した来訪者カウンターの数字が一つ増えるたび、画面の向こうにいる誰かとの繋がりを確かに感じていた。
やがて時代は進み、僕らの夜を彩ったのはピカピカ光るFlashコンテンツだった。指先一つで世界と繋がったiモード、満員電車でプロ野球中継に熱狂したワンセグケータイ。テクノロジーはいつだって、僕らの日常を少しだけ豊かに、そして刺激的に塗り替えてくれた。
そして今、令和。僕らの生活は、かつてのSF映画が描いた未来図を、ある意味で遥かに超えてしまったのかもしれない。



「ピンポン♪」――それは、悪魔の誘いか、神の啓示か。

リモートワークが当たり前になった今、僕らの生命線を握るのはSlackだ。全ての連絡がここに集約され、プロジェクトは進む。しかし、集中が最高潮に達した瞬間に鳴り響く通知音は、サボりたいエンジニアの心を的確に撃ち抜く悪魔のサイレンでもある。
「ちょっとZoomいい?」その一言で、ベッドの中からオンライン会議に参加する猛者もいるとかいないとか。Zoomのカメラオフ機能は、現代に生まれた偉大なる発明の一つに違いない。電話?いやいや、僕らはWebRTCでブラウザから話すのが好きなんだ。
面倒な事務作業は、もはや僕らの仕事ではない。企画書も見積もりも、我らが救世主ChatGPTやGeminiに「いい感じに作っといて」とお願いすれば、数秒後には完璧なドラフトが上がってくる。コーディングもそうだ。GitHub Copilotという名の「副操縦士」は、時として人間という名の「主操縦士」より遥かに正確な航路を示す。我々はAIを使いこなしているのか、それともAIに仕事をさせているだけなのか。その答えは、まだ誰も知らない。
サーバー管理の苦労も、今は昔。Kubernetesという名の「神」がコンテナを操り、AWS Lambdaがサーバーレスの世界へと我々を導いてくれた。そのおかげで生まれた膨大な時間で、AIにデイトレードを任せて資産運用…なんて、現代の「不労所得」の夢が広がる。
そして、ついに現れたVision Pro。現実とデジタルの境界線を曖昧にするこのデバイスは、カフェで仕事をしながら仮想空間で遊ぶ、なんていう未来のサボりを可能にする。まさに究極の怠惰促進アイテムだ。
そんな最先端の世界で、今なお現役のExcelという名の「古いワザ」も愛おしい。もちろん、僕らはNotionに全てを集約し、Google Calendarはできるだけスカスカに保っておきたいのだけれど。

テクノロジーは、僕らを本当に豊かにしたのだろうか。

それとも、ただ高度で洗練された「怠惰」を可能にしただけなのだろうか。
きっと、その両方なのだろう。そして、その「怠惰」こそが、次のイノベーションを生むための「余白」であり「遊び」なのかもしれない。技術の進化とは、人間の「もっと楽をしたい」という、抗いがたい欲求の歴史そのものなのだから。
前置きが長くなりました。
そんな、愛すべきテクノロジーと、それに振り回されながらもしたたかに生きる我々、令和世代の日常を、一つの「歌」にしてみました。
ネットスケープのダイアルアップ音から、Slackの通知音まで。このコラムで巡ってきたテクノロジーの歴史と、僕らの「あるある」が詰まった一曲です。ぜひ、お楽しみください。
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