なんと今年は銀婚式。花も嵐も踏み越えたつもりの苦節25年を経て、私たちは再び新婚旅行の地イタリアへ。雨のベネツィアで、1本の傘に入って歩く私たちに、「ねえ、振り返って」と後ろからカメラを構えた息子の声。「せーの!」でふりかえった私たちの姿にあきれながら、「アパートに魔除けとして飾ろう」とつぶやく息子。
新婚旅行でイタリアのすばらしさに感動し、5年たったら又来ようねと約束したものの、子育て中のヨーロッパはやはり遠く、5年のはずがあっという間に25年。初々しかったハズの私たちも、25年の時を経て、こんなステキな写真を残せるようになったのが嬉しい。有閑マダムの夢は叶わず50歳にしていまだ共働きの身だけれど、「お、まだまだイケてる、これからよぉ!」と勘違いを繰り返しながら、これからは、かかえきれないほどの人生の楽しみと共存していこうと思っている。私たちのゴールデンタイムは、まさにこれからなのだ。
なんと今年は銀婚式。花も嵐も踏み越えたつもりの苦節25年を経て、私たちは再び新婚旅行の地イタリアへ。雨のベネツィアで、1本の傘に入って歩く私たちに、「ねえ、振り返って」と後ろからカメラを構えた息子の声。「せーの!」でふりかえった私たちの姿にあきれながら、「アパートに魔除けとして飾ろう」とつぶやく息子。
新婚旅行でイタリアのすばらしさに感動し、5年たったら又来ようねと約束したものの、子育て中のヨーロッパはやはり遠く、5年のはずがあっという間に25年。初々しかったハズの私たちも、25年の時を経て、こんなステキな写真を残せるようになったのが嬉しい。有閑マダムの夢は叶わず50歳にしていまだ共働きの身だけれど、「お、まだまだイケてる、これからよぉ!」と勘違いを繰り返しながら、これからは、かかえきれないほどの人生の楽しみと共存していこうと思っている。私たちのゴールデンタイムは、まさにこれからなのだ。
なんと今年は銀婚式。花も嵐も踏み越えたつもりの苦節25年を経て、私たちは再び新婚旅行の地イタリアへ。雨のベネツィアで、1本の傘に入って歩く私たちに、「ねえ、振り返って」と後ろからカメラを構えた息子の声。「せーの!」でふりかえった私たちの姿にあきれながら、「アパートに魔除けとして飾ろう」とつぶやく息子。
新婚旅行でイタリアのすばらしさに感動し、5年たったら又来ようねと約束したものの、子育て中のヨーロッパはやはり遠く、5年のはずがあっという間に25年。初々しかったハズの私たちも、25年の時を経て、こんなステキな写真を残せるようになったのが嬉しい。有閑マダムの夢は叶わず50歳にしていまだ共働きの身だけれど、「お、まだまだイケてる、これからよぉ!」と勘違いを繰り返しながら、これからは、かかえきれないほどの人生の楽しみと共存していこうと思っている。私たちのゴールデンタイムは、まさにこれからなのだ。
太陽が東の山から顔を覗かせた時、カーテンの隙間から一筋の光が雰れてくる。その静寂な光が毎日私に「今日という日」をプレゼントしてくれる。ゆっくり起きて
朝から丘の手入れの一日が始まるのだ。
思い起こせば50 年前この丘で遊んだ日々。それがいつの間にか数十年の空白の時間を越えて今に繋がっている。幼い頃に父から連れてきてもらった丘で再び子供心を取り戻している。長い人生の中でたくさんの道を歩いてくれば、色んな人との出会い、別離がある。それらは全て先人の作った道で決して自分で作った道とは思えなかった。また、世の中で起こる事はなるようにしかならないし、喜びも悲しみも順番通りに来ないことも知る。そうなると、たとえどんな道を通っても平坦な道はそんなにない事も分かってくる。ところが、不思議な縁で再び子供の頃に遊んだ丘に舞い降りて1人で小道を作るとは夢にも思わなかった。小道を歩くだけで心は踊り詩や言葉が湧き出す日々。
一昨年5月結婚40周年を記念して夫婦でスペインのサンティアゴ巡礼街道を歩いた。もう30年以上前から訪ねたいと思っていたところだ。でも、こんな長い距離を歩く自信がなかった。
ところがある日、NHKの番組で68歳のフランス人女性がひとりでもくもくと歩いている姿を見て、猛烈に歩きたくなり挑戦した。航空券の有効期限の関係で全行程(740Km)踏破はならなかったが、20日間で420km を歩いた。期待以上にすばらしい旅だった。路傍の花々を愛で、田舎町の石畳を踏み、炎天下の麦畑を貫く目にまぶしい農道を歩み(写真)、古拙なロマネスク教会の冷気に憩い、巡礼宿では男も女も、老いも若きもひとつ屋根の下で眠り、夜明けとともにまたひたすら歩いた。この旅は、定年退職して時間が自分のものとなり、体力的にもまだ衰えていない60代でこそ可能な徒歩旅行だ。来年また前回歩かなかった区間を歩いてみたい。夫婦ともまだまだ歩ける。
『日残りて昏(く)るるにいまだ遠し』とは、藤沢周平氏の小説の一節であるが、苦学を愉しみながら蛍雪の期を送り、大病を患いながらも克服し、サラリーマン・地方議会議員を経て“小渦あれども大渦なく”健康である事の幸福(しあわせ)を噛みしめながら古希を迎えた夏である。されど在宅の日々の想いは、正に、『昏るるにいまだ遠し』の一念であった。
そんな時、新聞広告欄に躍る文字、“役者を創る”との俳優養成の案内を読み、若い日に映画製作現場に仂いた経験が想い出として疼き、応募最終日まで悩み決断し、二次選考を経て合格通知を貰った時は“巣立ちの雀(スズメ)”の心境であった。妻の困惑の顔、子供達の呆れ顔、孫達の歓呼の声に送られて稽古場に通い、笑はれ、怒られ、舞い上がり、時代劇の鬘(まげ)に戸惑い、立回りに迷みながらも、想像にもしなかった短編映画に出演と云う幸せに恵まれながら役者、俳優と云う最終目標に向かって“ゴールデン・タイム”を心から楽しく、嬉しく生きている。
六十歳を目前に私は、「書」をはじめた。初めてまだ半年も経たないというのに、展覧会へ出せという。尻込みする私に、手本はこれ、紙は反で、墨は2Lボトルをと、囲りから固められ出品することになった。
書く、といっても机上の作業ではない。大文字である。二年の課程が終了すると今度は創作せよという。どんな紙に何を書こうか考えている時は楽しい。が、一度紙に墨を置いた途端楽しみは苦るしみに変るのである。書いては捨て、捨てては書いて何十枚、一点の作品を得るために書損した紙は家中ゴミの山となっている。その上、墨は乾燥を嫌うのでエアコンは禁物。我身はTシャツに短パン保冷剤をくるんで鉢巻をする。呻唸する婆武者である。思うに、まだ忙しかった頃から書道具を買っては本箱に突っ込んできたのは、書きたいという欲求が潜在していたのだろう。今、時を得て婆武者は今日もゴミ作りに精を出している。
重度心身障害者の私は、小学校時代が戦時中で、戦争に行けない人間として、毎日強烈な“いじめ”にあいつづけ毎日泣かされていた。しかし私は大人になったら、人を楽しく笑はせる人間にならうと、心に堅く誓ったものだった。
学生時代に簡単な手品を覚えた私は街頭や公園、学校、病院、駅、電車の中でも見せて見せて見せまくった。落語や漫才の研究なども同時にやっている私は、手品とそれらをミックスさせて、素人演芸会などに出て人々を笑はせつづけた。
75歳になった今日、病院に行ったら各階の待合室をまわり、又、電車の中では子供をつれた人達の前で「子供に夢を!! 明るい未来を!!」「子供と女性を守ろう!!」「児童ぎゃく待と学力低下を防ごう!!」「みんなを楽しくするおじいちゃんの手品でした。」などと書いたスローガンの紙を見せ手品で笑はせ私のゴールデンタイムを味はっている。
長い現役生活を終え、現在は、地域の産業振興や環境関連のボランティアで多忙な日々を送っている。休日には、登山・写真・テニス・スキーなどを楽しんでいる。中でも、大学時代の寮友とのスキー合宿が最高の楽しみである。60を過ぎてから山スキーを始め、大自然の魅力に取り付かれ、毎年蔵王連峰への山スキー合宿に出かけている。
この写真は今年、白銀の刈田岳へ登る我がパーティーを撮ったものである。これぞ私のゴールデンタイムである。これまでの人生を振り返るように、一歩一歩スキーを踏みしめて登る。山頂からの360度の眺望は最高の幸せを感じる瞬間である。更に、山頂からのダウンヒルで描くシュプールは、自分の人生の軌跡そのものに見え、感慨深いものがある。また、山小屋の夜も楽しい。学生寮時代の思い出と、その後の人生を語り合い、夜はふけていく。また来年も元気に友と会える日を楽しみにしている。
その日は妻の五十九才の誕生日。同じ高校で一年先輩の私も定年を迎える年であった。いろいろと苦労をかけた彼女への感謝の気持ちを、何か思い出に残る形として出来る事がないかと考えついたのが“二人だけのコンサ―ト”。借り切ったホールで観客一人、出演者一人。「よし、これだ!」と、行動を起こしたのが半年前。
まず、百席余りの小ホールを押える。あとは中味。ピアノ、リコーダ、ナレーションを合わせた約一時間のプログラムの流れをテープに入れ込む。“テープ”と“生”との継ぎ場面の把握に苦戦。なんとか練習で乗り切る。さぁ、開演!。舞台へ上る。が、私の目と中央に座る妻の目が合った瞬間、胸がつまりセリフが出て来ない。テープは進む。音がづれる。懸命に流れに追いつく。何とか終了と、席を立った妻が拍手をしながら舞台へ。思わず自然に抱擁。嬉しかった。この写真はホールの管理人さんに撮っていただいた一枚
ニューカレドニアの首都ヌメア。写真は十八年前に撮った。ここは、私たち夫婦がお店を「開く」予定地だ。
当時、昼近くになるとバンを改造したハンバーガーの移動販売店がビーチ沿いの道に現れた。炙りたてのパテに、たっぷりの野菜をはさんだハンバーガーを木陰でほおばると、それは簡単で素晴らしいご馳走になった。ウィンドサーファーや日光浴の人たちのお腹と心を満たす、そんな店を私も開きたい。
毎日、料理好きの主人が作るお惣菜やランチボックスを車に積んでビーチに向かう。
私たちは、のんびり客を待ちながら、表情を変え続ける海に目を細め、波の音に合わせて、ひっそりビールをすするだろう。そのためにフランス語会話の勉強を二年前から始めた。もっとも夫はまだ私のこの野望を知らない。いつか、と私は心の中で夫に語りかける。風と光に満ちた島で、美しい時間を過ごそう。あなたが一度目のプロポーズをして、私が丁重に断ったあの町で。
8月に夫と八ヶ岳に出かけた時のこと。高原のテラスでお茶を飲んでいると、小さなトンボがストローに止まり、気まぐれに差し出した私の指にも止まりました。「一枚撮ろうか。」普段カメラなど触りもしない夫がぎこちない手つきでシャッターを切ろうとします。「動かないでね。」私はそっと心のなかでトンボに言いました。写っているのはトンボと私。でもこのスナップを見るにつけ、夫のまなざしを感じます。やがて空に帰って行ったトンボを見送った時の彼の笑顔、テラスに吹いていた涼しい風、トンボの足の感触。ささやかな出来事にも共感して楽しくなってしまう、そんな夫と一緒に暮らせる毎日が私にとってのゴールデンタイム。
結婚して30余年、息子たちもそれぞれ独立して今はまた二人きり。平坦な道ではなかったけど、仲良く生きてきた私たちに神様が下さったすばらしい時間に感謝。
現在61才、去年定年退職してからの私の楽しみは犬の散歩と仏像彫刻。
木彫は四~五年前から始めていたのですが、今では時間を気にすることなく彫れる幸せを味わっております。
彫っている時の木の香り、刀の切れ味 無心になれる心地良さ出来上がりにはナカナカ満足いきませんが、そのせいで約30体程になり、なかにはゆずって欲しいと言われ嫁入りしたものもあります。まだまだ修業中ですので仏像だけでなく、動物や人物も創っています。又、自分の励みにと工芸展などにも出品したりしており、先々の夢ですがいつか個展をひらけたらと楽しみに彫っています。
今、大好きな歌を毎日歌っている。私は長い間この時が来ることを望んでいた。今その時を迎えている。子供の頃から歌が大好きだった。歌手になりたかった。高校時代には本格的なレッスンを受け、クラブ等で歌い、レコード・デビューを目指した。そして、多くの人が経験するように、私も人生の岐路を選択する時にプロ歌手への道を諦めた。しかし、それは歌う事を諦めたのではなく、プロへの道を諦めただけであった。
人生の折り返しを過ぎて、自分の生涯を考えた時、今、再び歌うことを始めた。歌うことは本当に楽しい。毎日、歌仲間と歌い、語らい、充実した時間を過している。次の夢も大きく膨らんでいる。マイ・ライブハウスを持つことである。それは、沢山の歌好きが集い、一日中歌声が絶えない夢の場所である。私は、その中で一日中夢中で歌っているだろう。夢は、きっと、叶えられるものと信じている。
今までもそしてこれからも私にとってのGolden Time は家内を抜きにしては考えられない。まもなく金婚式を迎える私たち夫婦の共通の、永年の趣味の世界、その中に共に過す時間と満足は正に他に換えがたい黄金のひと時だ。
その世界とは夏秋の登山、冬のスキーそして近年は年数回の海外旅行。中でも登山は過去50年間、毎年2回主に日本アルプス中心に3000M級の峰々を縦走しながら、嶮しい岩峰と高山植物と登山姿の家内が歩くうしろ姿を点景に配した写真など毎回数百枚も撮るので、自宅の玄関から廊下、リビング、トイレから書斎、寝室まで大きく引き伸ばした写真を何枚もフレームに収め掲げた中で過ごす時間も又自分たちだけの悦楽の空間になっている。、デジカメで撮った写真も全部自分でプリントしアルバムに収めるのでその数、優に100冊を越えその収納用には最近ちょっと勿体ない位の高価な家具を購入、でも私達にとっては“宝物”だから当然と納得している。
この写真は、至福の時、10年かかって叶えた夢。 まだ初孫が娘のお腹にいる頃、弾き手のないピアノを勿体ないと思い、おそるおそる習い始める。指は動かず、覚えも悪い、が生まれたばかりの孫を抱き乍ら、ふとこの子と連弾出来ないだろうか、いや頑張っていれば出来るかも、という思いが頭を過ぎる。
孫のまだ動かない指を鍵盤に触らせたりするそして継続は力なりと自分に云い聞かせながら八年。娘夫婦の海外赴任から帰国した孫を早速ピアノは楽しいよと教室に誘う。そしていよいよハレの発表会、曲は「エンターテナー」を連弾で!! あまりの緊張に、最初の大切な音を外す。「ばあちゃんたら、いきなり変な音出すんだもん。でも楽しかったね、来年も一緒に弾こう。」来年も一緒に。夢は叶う。平成十七年六月、私、六三才玲奈九才。まさに、ザッツ・ゴールデンタイム!!。
「退職したら、約40年間の教職で身につけたことを生かしてボランティアをしたい」と思って、堅実な経済生活を工夫してきた。今、希望が叶えられ、いくつかの活動の場が与えられている。その中の一つが介護施設である。ここで、歌ったり、お話をしたり、本を読んだり、クイズをしたりする。「死にたがる人がいて困る」という施設長の言葉が、私の心に刻み込まれた。
9月のある日、小さなマラカスを鳴らして、リズム合奏をした。その時、あちこちで、笑顔の花が咲いた。「みなさんの中に、世話ばかりかけて、人の役に立たないと思っている方がおられるかも知れません。でも、今見せて下さった笑顔は、私を幸せにして下さる大きなプレゼントです。ありがとうございました。次にもまた、笑顔のプレゼントをいただきに参ります」と、私は心から言った。するとまた、たくさんのほほえみを下さった。私は、たくさんのほほえみをいただくために、また、いそいそと出かけて行く。
「定年後は好きなことを思いきりやって楽しく暮らそう。時間はたっぷりある。バラ色の第二の人生!」なんて思っていた。そして始まった趣味中心の第二の人生。一見充実している日々。しかし何だか空しい。何かが足りない。そう思っていた時、「音訳ボランティア募集」の文字が目に飛び込んできた。目の不自由な人のための録音図書作り。これだ!と思った。早速応募。半年間のハードな講習を受けて、音訳を始めて四年。今の私の生活は音訳ボランティアを中心にまわっている。
自分のための楽しみだけでは心は満たされない。何か世の中の役に立つ存在でありたいという願望が人間にはあるのだ。音訳はその願望を満たしてくれる。そして自分も読む楽しみを味わうことができる。 自分の楽しみが社会につながっていることによって喜びが生れる。今私が一番輝いているのは音訳をしている時。ゴールデンタイム。
楽園の頂上はとても風が強くて…。私たちはこの朝、岸壁に林立するソレントのホテル初日、朝食のためにテラスにでて、青い海と一体化して揺らぐまばゆい光と、ひんやりと透き通った空気を五官に感じ、息を呑む。遠くナポリ湾に浮かぶベスビオス火山が遥か歴史の彼方に心を誘います。
その余韻を胸にフェリーで渡ったカプリ島、リフトに揺られて上がった頂上、対岸のナポリが一望にそこでの一枚です。20代から30代をパリ、ニューヨーク、ロンドンと駐在生活をした私たちですが、帰国後くも膜下手術をして以来国際線に乗ることを控えていた主人が、6月にスイスで結婚式を挙げる娘のために意を決してヨーロッパへ飛ぶ気に。
私たちはスイスと南イタリアに夢を馳せ計画を練り新婚カップルと共に夢のような2週間の旅を過ごしました。16年ぶりのヨーロッパです。主人は日頃の仕事の顔とは別人の柔和で幸せな男の顔を見せ“これからは一年に一度は海外に家族と出かけよう”と嬉しい発言。毎年こんな至福の時を家族と味わいたいと、私たちはヨーロッパに居る頃にはそこは身近すぎて感じ得なかった旅の喜び「ゴールデンタイム」をこの歳にして知りました。
「夕暮」この時間は私にとって、ゴールデンタイムです。楽しい一日であっても、悲しい一日であっても、一日の終わりが近づき「今日一日過ごせたことが明日につながる。」ときなのです。
私の住む町は、海があり、山があり、川があり、テレビドラマのロケ地にもなりました小さな田舎町です。夕暮の海岸、太陽が海に沈む時、一番の素晴らしい風景に出会う事が出来るのです。海に太陽が吸い込まれ、光は雲や、山肌や、地面や、波打ちぎわの波まで夕焼けに染上げます。ほんの数分で終ってしまう自然の姿。一番のお気に入りです。山も、海も、雲も、人も夕焼け色に染まって「あした、てんきに、なあれー。」
技術の仕事をリタイアして、生きがいを見つけられずにいた私を見かねた画家の妻から、勧められて生まれて初めて握った絵筆。一番苦手であった美術の世界に戸惑い模索すること5年、お陰で今は公募展に入選し作品を他人に見てもらえる充実感を味わっている。
あれほど仕事人間に凝り固まっていた私の脳も少しは柔らかくなり、妻と絵画に対する価値観も共有出来るようになった。しかし何よりも嬉しいのは妻との対話を取り戻せた事だ。絵画のジャンルは異なるから制作には干渉せず夫々汗するが、名画鑑賞は揃って世界の美術館を巡る。とりわけ著名な作品には、その場所と空気を直接肌で感じたいため、制作場所を訪れる。
この「跳ね橋」を背景にした写真には、アルルの陽光の中で時空を超えてゴッホに出会えた至福の時間が流れている。二人が生きている限り「これからも、いつまでも」続く、まさに私達のザッツ・ゴールデンタイムです。
子供の頃から絵を描いたり物を作ったりするのが好きで、大学では美術を専攻した。その後中学や高校の美術講師をし、現在は美術系大学の受験予備校でデッサンの講師。
自分で作品を制作するよりも、教えることのほうが時間的にも圧倒的に多かった。生徒たちが熱心に絵を描いているのを見ていて、自分も絵を描きたいとずっと思ってきた。いつかは時間を作って心おきなく没頭したいと思いつつ、この年齢になってしまった。もう老眼でもあり、体力も若いころのようにはいかない。少し焦った。ところが、予備校も少子化の影響で生徒数が減少した。幸か不幸か、担当している時間が減り平日に休日ができた。幸にしよう。あれもしたい、これもしたい。以前からノートに作品のアイデアを描きためたメモが数千はある。構想を練り実際に作品にしていくのは、一生かかってもできないかも。
まあ、ぼちぼちと、これからやね。
往復4時間の長距離通勤と主婦業でクタクタの毎日。東京タワーから飛び降りる気持ちで早期退職した。家から10分の都内最大の公園に在住23年目にして初めて行ってみた。生まれて初めて桜を見た気分を味わった。紅葉も目にしみた。夏草や雨の匂いもたっぷり吸い込んで私は生き返った。家事と散歩の変わり映えのない毎日。その平凡な日々が私の何よりの輝きタイムとなった。もともと好奇心が洋服を着ているような性格だから、ブラブラの散歩でも小宇宙のような広がりを持っている。
散歩のお供はデジカメ。道路に這いつくばって花を撮っていると「オバサン何をしているの?」とチビッ子の熱い視線に迎えられ「こっちにもっときれいな花が咲いているわよ」と知らないオバサンに庭に引っ張り込まれる。花を撮るよりも世間話に忙しい。ウジャウジャいるノラ猫ちゃんを見廻るのもとても楽しみ。平凡な毎日でも私の好奇心が枯渇しない限りは一生エキサイティングだ
主人が仕事をしていたときは2人で年1回海外旅行を。リタイアした後は「海外にも住んでみたいね」との合言葉を実行し、マレーシアやニュージーランドではゴルフ三昧を含めた素晴らしい体験の数々。フランスではアパルトマンに住み、得難い貴重な体験とともにメトロで美術館巡りやオペラガルニエではバレエを観賞。でも愛犬と居たいので、ダイビングで行った沖縄に2匹の犬と共に住み始め、日々散歩代わりにシュノーケリング。休みを利用して子供達、甥、そして老母が順次来て、これは家族サービスや親孝行。と合わせて、何はともあれ感謝感謝の日々。
さて、この後のゴールデンタイムの予定はと。毎年スキーに行っている北海道での長期滞在へと夢は続きます。レッツ・ゴー。写真の愛犬もゴールデンタイムを満喫、と思っていますが、どう思います?
一生懸命働いた。学校を出て約40年、わき目もふらずに働いた。そしてある日、病に襲われた。それを機に退職した。その時、歳は60歳を越えていた。その先に前途は暗澹たるものに思えた。そんなある日、妻が山へ花を見に行こうと言った。体調回復の途上であったが、行くことにした。山のお花畑は夏の色々な花が沢山咲いていたが、今まで野や山の花など一顧だにしたことの無い者にはああ、花が咲いているなとただ思うだけであった。が2,3日経っても何故か、花の姿が心に残るようであった。
その後体調の回復と共に野や山にカメラを担いで花の姿を追う自分に気づくには余り時間はかからなかった。今では春風と共に野山に、山に雪が消えると北海道や信州の高山に花を求め、秋には紅葉を訪ね、木枯らしの吹く冬の夜は妻と次の年の花紀行を語りながら春到来を心待ちにしている。
初秋9月の連休、この日は晴天で妻の郷里に在る山城に登りました、秋の心地よいそよ風の中、妻がベンチに腰を掛け、景色に慕っているのを見ていました、そこでついついシャッターを押してしまいました。
50歳も半ばになり、ようやく家族と共に暮らせるようになった。仕事に追われ、また単身赴任もして家族とも離れて暮らす日々も続き、その任を解かれて我が家に戻ってきたものの、2人の娘は嫁ぎ、待っていてくれたのは妻だけだった。
長い時の流れは、妻との共通の話題もなく互いに異なる価値観を持つようになっていたのです。2人だけのこれからの長い人生をどう過ごしたらいいのか、その確かな当てもなく過ごしているとき、町内の和太鼓サークルと出会い、妻を誘って入会しました。 以来、7年がたち、夫婦太鼓として妻と共に楽しむ至福の時間、共通の趣味となり、夏祭りにはペアを組んで汗をながしています。暮らしの中で、時には喧嘩をすることもありますが、太鼓を打ってそのストレスも吹き払うのです。いつまで打てるか分かりませんが、失いたくない妻との時間、老いるまで夫婦太鼓を打ち続けていきたい。
私は1950年の寅年生まれ。昨年、勤続25周年の記念として、会社から旅行券をもらった。出不精の妻にどこでもいいわと言われ、念願だった中国の桂林に旅立った。
漓江下りの翌日、桂林動物園を訪れた。正門を入ると真正面に虎の檻があった。虎と目が合った瞬間、昔実家で飼っていた猫や、現在自宅にいる兎同様、可愛いと感じた。
「どなたか、虎と一緒に写真を写す方はいませんか?」ガイドの言葉に迷っている私に気付かず、皆首や手を横に振りながら、奥の方に進んで行く。「では、パンダと一緒に写真を撮る方は?」一組のご夫婦が手を上げた。だが、パンダと垣根を挟んで撮る写真に、不満そうだった。
帰りに、私は妻の制止を振り切って虎の檻に入った。園内で生まれ育った牝の虎は、首を撫でると気持ち良さそうに目を細め、跨いでも動かず、カメラ目線で答えてくれた。
五ヶ月振りに夫の実家である鹿児島へ帰省。空港に迎えに来てくれた夫の両親と真っ直ぐおじいちゃんの家へ子どもを連れて行く。
今年はこれで3度目。2歳にもならない子どもを連れての飛行機での帰省は、重い荷物を抱えて、ぐずる子どもをなだめたり、迷惑がる周囲の方達を気にしたりと心休まるひまもない。なぜこんなに労力と交通費をかけて帰るのか?それは、やっぱり愛する子どもを心から愛して待っている人たちがいるから。
その人たちが私の子どもを見つめる目、差し出す手、笑顔、そのすべてが私を癒してくれる。何年か前は全く他人だった人たちが、今では私の愛する子どものルーツであり、まぎれもない私の家族になっている。そんな人たちと過ごす時間が私のゴールデン・タイム。
私たち夫婦は碌にドイツ語を話せないのにヨーロッパ・ドイツ語圏が好きなのです。そしてアルプス地方に伝承される民族音楽のファンです。ヨーデル、アルプホルン…澄みきったアルプスの空に響くような調べを聴くと“ああ生きていて良かった”と思うのです。日本でこの種の音楽の演奏グループは少ないのですが機会があれば聴きに行きます。
ヨーロッパドイツ語圏へ旅する時私たちはレーダーホーゼ(男性用皮のパンツ)、ディアルンドル(女性用民族衣装)を持参します。ある時ミュンヘンでの夕食は大きなビアホールとなりました。ステージでは大好きなアルペン音楽が演奏されています。民族衣装を着用した私たちは演奏家の目にとまり、ステージに上がるように誘われました。一寸気が引けましたが思いきってステージに上がり、彼等の演奏で彼等と一緒に民族舞踊のまねごとを踊りました。場内は大いに湧き拍手喝采でした。私たちにとって正にゴールデンタイムでした。
俺はメロンパンが好きだ。
メロンの味がするからメロンパンなのか。
いや違う。外側がメロンに似ていて、中が柔らかいからメロンパンなのだ。俺は旅に出たらご当地のメロンパンを必ず食べる。 呉、名古屋、福島、宮城、山形どこのメロンパンもうまい。しかし、形、色、味ともにこれはと思うものに、まだ巡り会えない。 この日も南東北の旅の途中で、焼きたてのメロンパンにであった。店員からできたてのメロンパンをむしり取り、ムシャリとくっちまったところだ。
パクリ、ムシャムシャ、パクリ、う、う、うまい。しかし、どこかちがう。食べれば食べるほど、もっとうまいメロンパンがあるはずだという声が聞こえる。
そうだ、俺は、君たちがなんといおうと、最高のメロンパンをいつか探し出して食ってやる。
ああ、私は、なんて穏やかでシアワセに満ちた顔をしているのだろう。お父さんと腕を組んで、奈良公園の木漏れ日の中、娘たちに向かって微笑みかけている。
去年の5月、奈良に住む娘の招待ではるばる九州の田舎から遊びに行ったときのものだ。お父さんは初めての飛行機だった。二歳になる孫は、元気に成長していた。楽しくて嬉しくて、そして心地よい風と日差しに、私は思いっきりシアワセを感じていた。それから一年も経たない今年三月、お父さんは逝ってしまった。この写真が二人で写した最後の写真になるなんて。
でもね、私はひとりじゃない。お父さんに似て優しい娘二人、そして孫たちもいる。お父さんを亡くしてから、人の優しさ、思いやりを感じることが多くなりました。
もう泣かない。これからは元気なパワー溢れるババアになる。強く逞しく、そして笑顔の似合うババアに。お父さん、よく言っていたものね、「お前、笑ってたら、少しはブスも隠せるぞ」。
この十年間は病気に悩んだ。直腸ガンで人工肛門になり、肺ガンの手術後は、肋間神経の痛みに泣かされた。でも病気になったお陰で家族の愛情、DR、看護士、友人みんなの愛で命を助けて貰い、人間的にも成長させて貰ったと思う。人に優しく接すること、また感謝の気持ちを常にもつことを学んだ。
病後、習い始めた日本画の奥深い表現、岩絵具という画材にほれ込んで、今では最も大事な趣味の一つになった。県や市の展覧会に出品し、入選入賞した時の喜びはどう表現したらいいのか分からない。知人友人に報告し、自慢話をする楽しみってなんとも言えない。パソコンのホームページにも絵を載せて訪問された方に感想をコメントして貰ってます。先日は表彰式で百歳の方が最高齢者賞を受けられた。自分は死ぬまで日本画を続けていこうと現在は考えている。こんないい趣味が持てたのも、あの病気の副産物かご褒美だと感謝している。
私は「城跡探検隊・三重」シニア部隊の隊員である。
名刺を差し出すと必ず「城跡探検隊ってなんですか?」と聞かれる。深い意味はない単に古城や城郭が好きなだけである。
それも修学旅行生が立ち寄るような観光城ではなく、栄華の跡は、苔むした石垣と本丸跡に微かに残るだけと云うような山城や砦跡が大好きなのだ。それも半端ではない。
月に一度ほど隊をなして探検に出る。登城口からは山上をめざしてとにかく歩くのだ。たとえ汗がしたたり落ち、胸が早鐘をうち、両腿の筋肉が痙攣を起こしむかし懐かしいチャールストンを踊ったとしても、上を向いて歩かなければならない。
漸くにしてたどり着いた城跡には天守、本丸、二の丸らの跡地と城跡碑があるだけだ。ましてや周りに飲み物の自販機などがある訳がない。その跡地にたち、住持の城主や武将たちが押しよせた敵軍を前にして、激論を交わしたであろうその時代へ想いを寄せるのである。
国内には3000以上の城跡があると云われている。私が5年前から始めた「城跡探検隊」は現在175城だ。平成の年号内に探検しきれるかどうかは私自身にも解らない。しかし仮に年号が替わったとしても、隊が解散して一人になったとしても、私は躰が動く限りこの城跡探検隊を続けるつもりである。…それは私のライフワークとなったから、それは私の至福の時だから…
現在の子供たちは、「紙芝居」を見たり、「昔ばなし」に馴染むという機会に、あまり恵まれていないように思う。指先ひとつで、TVもファミコンゲームも思う儘に操作できる今日では、感性も我々の時代とは異ったものなのかも知れない。
そんな子供たちに、私は、自分の及ぶ限りの知恵と、知り得たことなどを伝えていきたいと、五年ほど前から、自己流ながら自作の作品を提供している。喰い入るように見つめ、耳を傾けて聞いてくれる幼い瞳たちと向き合うこのひとときが、何ものにもかえがたい位、私に幸福せを感じさせてくれる。こんな充実した時間を、可愛い未来人たちと共有できるのが、私にとっての最高の「ゴールデンタイム」ではないかと思える。
夫を失い、砂を噛むような思いの中から立ち上がり、よろめきながら歩きつづけてきた5年近い歳月の中で私が持ち続けてきた希望は夫との約束である。定年後伊豆半島に転居し、潅木の草地を耕し野菜や花を育て、ここを家族や知人の交流の場とすることが夢であった。
夫の死で一時中断してしまった夢を細々と守りつづけてきた。暖かい伊豆は野菜や花の生育も早いけれど、草もたくましく、油断すると地面を覆いつくす。介護の仕事を続けながら時間を惜しんで草を取り木の剪定をして守りつづけてきた庭、これからの人生の私の希望はこの庭の完成である。
ターシャ・チューダの庭には程遠いが、花屋の店先で、知人の庭から、通販のカタログから選び手に入れた花々が根付き少しずつ増えている。いつか庭が出来上がった時、長男の料理、長女の造園、次男の木工、それにそれぞれの伴侶のフラワーアレンジメント、コンピューターミュージック、陶芸がここに集合し、家族や知人が楽しく交流することが私の目指すゴールデンタイムであり、そこには夫の微笑みがあると思う。
目指す希望があることは心を浮き立たせる。その心のときめきがゴールデンタイムであるかもしれない。
昨年、喜寿を迎えた私は以前より楽器に対する憧れを持ち続けていた。過日、ラジオ放送のマイウェイを聴いているうちに、何故かエレクトーンを弾きながら歌っている自分を夢みていた。この事を妻に話したら「すぐに始めてみたら。」と勧められた。
以前よりエレクトーンに親しんでいる妻と一緒に音楽教室の門を叩いた。ここで良き師に出会えたことも幸運であった。「好きな曲を好きなように弾けますよ。」と言われ、夢は益々膨らんだ。かくて私のエレクトーン習得の第一楽章が始まった。毎日、一本指演奏に没頭していたが漸く少しづづ両手両足が使えるようになり全く夢のようである。
次の第二楽章は、二年後に控えている金婚式の当日、家族の前でマイウェイを演奏できれば、これ以上の幸せはないと思っている。それまでの日々の「生活はシンプルに、思いは高く」ありたいと願っている。
脳出血で倒れた。友や子供の励ましや妻の懸命なる介護のもとにリハビリーに明け暮れ、一年は泣いて過した。病床での妻からの置手紙も嬉しかった。涙で繰り返し読んだ。
写真が趣味だった。女房や子供との写真は山程ある、そのひとコマひとコマの思い出が脳裏を駆け巡る。苦楽を共に歩んだ道は遥か遠く懐かしい。
至福の過去は自分の胸を締めつけ、半身不随の今の自分を悲しませる。過去をひきずって歩くよりも、全てを忘れて気楽な旅が最高の「Golden Time」だと思った。
あれから5年、生死の境を乗り越え甦り、杖を頼りに車椅子に乗って妻と旅にでることしばしば。旅にありて夫婦の今在る実存感こそが人生の「最高のゴールデンタイム。」
長年の念願叶い、カトマンズにも足をのばした。車椅子を押す妻の手に温かさと心強さを感じた。「かあちゃん、ありがとう。」
その日、私はニューヨークのマンハッタン5番街にあるホテルで電話を待っていました。ベルが鳴ってフロントからでした。急いでロビーを降りると、グレーのアルマーニのスーツを着た彼が待っていました。玄関前に止めてあるメルセデスのドアーを開きながら「買い物に付き合って欲しいのだけど」とぽつりと言いました。
車はハドソン川を渡って1時間ほど走り郊外のショッピングモールに到着しました。買い物客で賑わうモールを彼は足早に歩き、ある店のドアーを押しました。ティファニーと書かれたお店はマンハッタンの宝石店の支店でした。彼が店員さんに何かひとこと言うと彼女はにこやかに黒いベルベットのトレーにダイヤモンドのリングを出しました。「あなたをこの指輪がお待ちしていましたわ」と言って、彼にウインクをしました。ゆっくりと指輪を左手の薬指に滑らす時、彼とのいろいろな思い出が浮かんできました。
お互いに40歳を過ぎてからの出会いでしたが、こういう日を迎えることが出来ました。人生の後半を輝かせるエンゲージリングは今私の指の上で輝いています。
「なぜ、そんなに、苦しいことをするの?」と知人達は言う。 「もう、年なんだから止めたら」と姉たちは言う。海峡横断を、止めようか・・・。少し弱気になる事も。しかし、大きい目標が、達成出来た時の感激は大きい。
今から11年前、私が生まれ育った地、青森の津軽海峡を、青森側から北海道側へ単独で完泳出来たのだ。遠泳の後半は、半分気を失いながら。そして、ゴールしたときは、ついに気を失った。 あの感激は、女性では、私しか知り得ないもの。なぜなら、女性で初めての達成者だから。今度は北海道側から青森側へと・・・夢は年齢に関係なく生まれてくる。51歳から、その目標に挑戦している。写真は、その時の1枚(コマ)海に入ったら、決して船に上ることはない。(断念しない限り)水分補給だって、立ち泳ぎをしながらだ。まだ、北海道側から、青森側への完泳はされていないが・・・今度こそ!!今夏こそ!!毎年、津軽海峡単独遠泳に挑戦している。
それは“合こん” 市の広報誌を見てシルバーの「やさしい英会話」に集まった人達。男性の1人はボランティアの先生。英国滞在5年の経歴あり。もう1人の男が私。輸入酒販売会社に勤めてスコットランド、ボルドーなど訪問経歴あり。未亡人お嬢様が英国留学中にて年1回会いに行っている。昔デパートの案内ガールであった方。1人旅が好きで最近ブラジル、チリの旅行をして来た方。計5名。教室の生徒は10名いて平均年令65才。酒の飲める人が集まった。
皆さん夫婦の仲は良いですが夫婦での飲酒はない方ばかり。飲むと云ってもビールジョッキ2杯平均。旅の話から年金、病気、子供の結婚、家庭菜園の話まで。 妻の監視がなくて飲めるから私にとってのGolden Time !
私どもは、九十歳の母親を先頭に男三人、女二人、その連れ合い、孫八人、内、既婚五人、ひ孫七人、いずれも元気に過ごしています。
全員が一同に会することは不可能ですが毎年夏休みには次男が長野県原村に所有する別荘に集います。今年が四代、五家族が二日泊りで、テニス、ミニハイキング、プールで楽しみ、バーベキューで大宴会を行いました。
全員宿泊は無理なので一部は会社の寮を借り、孫たち三人は庭にテントを張り大喜びで良い経験をしました。
昔は兄弟も多く、それぞれが助け合う事も出来たでしょうが今は少子化、従兄弟の子供同士が将来、兄弟以上何かの折にお互いを思いやり、助け合い、励まし、健全な家庭を築く事を望んでおります。
昨今、核家族が進みややもすればお互い疎遠になりがちな時こそ集う事の楽しさ、絆を深める事にこの上もない幸せを感じています。
初孫のめいは、再従兄弟のさやかちゃんと仲良しです。「さやかちゃん見て見て!」とめいが上方を指差して叫びました。「ああ あれね」見慣れているさやかちゃんが答えました。からすが大きな声で鳴いていました。目は小さいけれど笑うと、とても可愛いらしいめいちゃん。
いつも苦虫を噛みつぶしたような顔をしているおじじも目尻りが下がり、声までもいつもと違う。そんな時、私の体中の細胞が「スイッチオン」となり持病も忘れてしまいそうだ。孫のいなかった頃は「孫なんか」と思っていたが、声やしぐさに癒されて陽の心になり、病気も逃げてゆく気がする。これからどんな事にも負けず強く優しい子に育ってくれる事を願いながら毎日お世話をしています。平均寿命まであと二十数年程あるけれど…その頃、めいちゃんは結婚して子育てをしているだろうか?今とちがった世の中になっているのだろうか?でも笑顔さえあればどんな時代でも生きられるよね。
或る日の夜中、次女の回し蹴りを顔に受け目が醒めた。なんとも無邪気な可愛い寝顔 !
子供ってのは天衣無縫、純粋ゆえいいのだろう。それにひきかえ自分は、いつから人間がくたびれてきたのか?このまま埋没してしまっていいのか!ひとり唸って夜が明けた。その朝から日課に腹筋強化を加えた。腹式呼吸を鍛え直し、楽器に魂を込める決心をしたのだ。クラリネット娘(長女)に誘われて始めたアルトサックス。気持ちを入れ替え、ソロを吹けるまでにはなった。「防音ボックスをベランダに置いてそこに住みなよ」とのたまっていた妻が、「上手になったねぇ。楽譜見ないで吹けるもんね」と誉てくれた!?とにかく、いい息吐くとスッキリごはんもうまい!!人生後半が輝くゴールデンタイムを得たくば、独自の浄心器が必要だ。娘達の、そして孫達の結婚式に、一発吹く気の私なのであった。
「どいて、レタスを出すから」
「あとにしてくれ、もう一寸だから」
当団地の厨は幅が狭い。致し方なく、冷蔵庫と小戸棚の上におくトースターを、向かい合わせに置くため、一人しか立てぬ。退職後、朝食のパン焼は私の役目とする。妻のパン焼は他の仕事と同時進行で、しばしば黒焦げにするからだ。
二分を越せば、ほんのり薄く焦げる。三十秒経過、蓋を開け、焼け具合を見る。もうちょっと焦がそう。蓋を閉める。ほぼ十五秒、まだだ。概ね数秒でまた蓋を開ける。我慢々々。二、三秒で開ける。「よし」良い色加減だ。
もう一仕事が待っている。妻のパンのみみを切り取らねばならぬ。妻は歯が痛く硬いものは噛み切れない。
『自分でするからいい』と言うが、鋏で薄くみみを切り取り、口に放り込む楽しみがある。
それがまた美味いのである。
私は家族関係の基本は掲題の如くであると確信する。高齢化時代の今日、定年後の人生こそが自己の総括のゴールデンタイムである。その必須条件は健康であり、前提条件は知的好奇心と若干の経済的余裕であり、共にシェアーする伴侶の存在は不可欠である。
商社マンの私は、六十才定年時にはボロボロの身体になっていた。定年以来、断酒・断煙を続け、妻の協力を得て体重を三十キロ落とす事に成功した。日課として、六時起床の木刀の素振り・打ち込み五百本と、妻との一万歩以上の散歩を励行している。
丁度十年前に、企業OBペンクラブに入会し、先輩達の生き様を見せて頂いている。五十七才の折、梅原日本学に接し、私の古代史への情熱に火がつき、朝鮮、中国、シルクロードと舞台が広がり、六年目になったヘブライ語の知識が新たな視点を加えている。毎年の海外旅行で、手作りの国内旅行で、妻と共に喜びを倍加できる事に感謝している。
それは「隠れ家にこもる」その時間がなんとも言えない。
隠れ家と言っても元は我が家の「納戸」です。
家族と交渉の末にやっと手に入れたわが城、2畳分のスペースである。
その「隠れ家」に大好きな本達を並べ楽しんでいる。
その数、3千冊。まさに本に埋もれながらのゴールデンタイム。
本達は語りかけてくる。様々な人生を、冒険を、旅を、恋を、人生をこの隠れ家の空間が私にとってのゴールデンタイム。
これぞ、我が至福の時。
1年前の夏、兄さんが山でさっさと空より高く遠いところにいっちゃった。眩しい緑と喧しいセミ、のっぽのひまわり。ぼんやりドキドキ考えた。これからのこと 人生のこと。兄さんの代わりに家に戻った。この地に呼び戻された。空っぽの家が呼んだんだろう・・仕事も辞めた。時間大尽になろうと思った。少々の糧があり、雨風しのげればそれでいい。のんびりゆっくりちいさな庭で畑仕事始めた。雑草と格闘して鋤を振り上げ、なんやかんやと土と対話して汗をだらだら流して。いろんなイキモノに出会い癒され、幸福な風が吹いた。兄さんありがとう。たくさん収穫できました。スイカきれいでしょう・・・かわいく丸くって、切ったらあまい瑞々しいスイカの香りがふわぁ~と広がった。感動した。初めて食べた!こんなおいしいスイカ。白いトコまでやわらかくガシガシ歯型つけて味わった。次はどんないのちをふくらまそう・・・しあわせの時間見つけた・・・。
現在の私は、若い頃の目標の通りに生きて来たものではありません。なぜなら青春時代は戦時下で「勝つまでは欲しがりません」と頑張って生きる事のみだったのです。但しその中で平和になったらお茶の稽古をしたいと思っていました。
私の師匠はとても美しく日本的な方で小学校の作法の時間にお茶を少し教はりました。それから数年神戸の大空襲でぼろぼろになって帰って来た私に優しい声をかけて下さったのが私の茶の道に入ったはじまりです。しかし良い事ばかりは続きません。現在、夫を特養にお世話になり年金の生活です。とその中でBKの方に出会い月々お小使位入る投資預金や年金預金等教はり老後を安心して暮せる幸せを頂きました。人様と出会、思いやりの心にふれ幸せに存じております。庭に咲いた花を活け社中の皆さんと楽しい稽古が出来るこの幸せに生かされて生きている事を大切に大切に生活して参ります。
ありきたりかとは思いますが、私はこの写真に写っている両親が過すであろうゴールデンタイムをおくりたいです。この笑顔は何よりも幸せを現していると思います。30代、40代、大変だったと思います。でも2人で支えあい、こんなに素敵な笑顔でいられる。あと数年でゴールデンタイムといわれる時を向かえますが、多分この笑顔はずっと変わらないでしょう。私もこの先さまざまな事を経験すると思いますが、未来のだんな様と乗り切り、両親のように2人よりそって、楽しく素敵に笑いあえたら、これこそ私にとって本当のゴールデンタイムになれると思います。両親のような幸せ笑顔。目標です。
私の趣味は長年走ることなので、いつも支えてくれる麗子と一度はマラソン大会に出場し、一緒に感動と汗を流したいと考えてました。健康と肥満を考えての誘い文句でしたが単調なスポーツのため長続きしませんでした。そこで旅先でも二人で散策を兼ねてジョギングしてから温泉に入ると健康の喜びと達成感、旅の楽しさで何故か幸せな時間が、ゆっくりと流れるのを感じます。ある日、私が勝手に塩原温泉のマラソン大会に麗子を申し込みました。首を横に振られると思いましたが身近な場所を色々変えて小旅行気分で、無理せず練習するようになりました。大会当日は準備運動からゴールするまで一緒に走りました。走り終えた直後は「苦しい、もう走らない」と言ってましたが時間と共に笑顔が戻り、その夜、温泉につかり夕食は舌鼓をうちながら心が和むものでした。これからも四季折々の風景、花々を楽しみ、風を肌で感じ無理せず一緒に走り、色々な喜びを感じたい。
人類がまだ踏み入れたことのない所とはいったいどんなところなのだろうと永い間、想い続けてきた。そこはきっと険しく、何もない無味乾燥なところではないだろうかと。
やっとその謎に包まれた人類未踏の地へ足を踏み入れることが出来た。マナスル山群の奥、ネパールとチベットとの境にあるヒンヅー・ヒマールに挑戦するチャンスに恵まれたのだ。ガイド、ポーター達、総勢6人でベースキャンプを出発した。もちろん、彼らにとっても初めての地である。5200mの氷河の上で目の当たりにしたのは思い描いていた景色とは違い、自然の造形である白い山々が聳え立ち、一日中、雪崩の爆音が響き渡り、氷河には恐怖を感ずる位の底知れぬ深さのクレパスがいくつも口を開けていた。我々はどの位、立っていたであろうか。想像を絶する景色に、時間の経過すら感じられずに立ちすくみ、まわりの世界を眺めていた。